2018年 06月 27日
6/26 素をだせる
あれれ? このダリア 今は見かけない
どこへ行っちゃったんだろう
最近少し思ったこと
自分の素
好きな自分でいられる自分
素が自然にだせる相手というのはいるもので
そういうとき この上ない居心地の良さを感じる
もし相手もそうであったら お互いの相性がちょうど良いということなんだろうなって
そんな相手 いますか?
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冥王星は風の街。
ヘタに取り繕ったペラい表面なんて、すぐ吹き飛ばされちまうんだから
自分は見栄を張ったりカッコつけたがりな性格ではない…と、思いたいけど
だからって、じゃあ誰に対しても全部あけっぴろげ~おっぴろげ~かと言うと
決してそうではないもんね。
>素が自然にだせる相手
↑この最初の文字を、「素」から「屁」に換えてみた。
ああ、私には、そんな他人が、一人だけいるな。
「あはっっw ごめ~~~ん!www」と、笑いながら謝る私を
同じように笑ってくれる、そんな相手。
高級車や高価な家具や、オシャレな食器にブランド物の服や靴…
そういう「素敵なモノ」はウチには何も無いけれど
「あ~~~もー今日は疲れた!中華食べに行こうよ!」って言えちゃう相手…
カッコつけずに気を遣わずに、ヨワい、ヘタレな自分でも出せると甘えられる相手…
黙って何でも飲み込んで、ひとりで歯を食いしばらなくてもいい人生。
私にとって、「暮らす」って、そういうことになったんだなぁ(*´ω`*)
あらためて、「私は、しあわせなんだなぁ」と思わせてくれた
あめりあちゃんに感謝!
数人しか居ませんよ〜(^^;;
ぼんやりと...がなかなか出来なくて...。
広く浅くと付き合える方が羨ましいです。
大人になると、色々な付き合いがあって、少し疲れる時があります。
子どもの為と思って、仕方ないですね。
おはよう。
思いっきりお返事遅くなっちゃった!
ごめんね!
冥王星は風の街・・・そうなんだね。
冬の川に漂う澄んだ空気も、新しい風が届いては去って・・を
繰り返しているんだね。
素を屁かぁ。面白い発想だね。さすがだなと尊敬だよ。
暮らすということは、楽に暮らすということはそうであることが
一番なんだろうね。
そこにはやっぱりお互いを そのままのところを受け入れてくれる
受け入れることが大切なんだよね。
今、ココちゃんはシアワセな屁をつかんでいるね。
屁は空気のように見えないけれど、一度離れると再び元に戻すのは
すごく難しいもの。
ワタシに感謝 じゃなくて オイラくん そして家族にだね^^
こんばんは。
とても遅くなってしまってごめんなさい。
居るようでいない。
そんな感覚、というか現実?わかる気がします。
娘さんの前でも?って少しびっくりしましたが。
素を出せるのは自分の中だけなんでしょうかね。
本当。素ってどれが素なのかそうじゃないのか
わからなくなりますね。そんな時があります。
おはよう。
お返事、すっごく遅くなってしまってごめんなさい。
素を見せられる人、数人いるんですね。
いるから良いとか居ないからダメとか、そういう括りじゃないと思うのだけど
いざとなった時に、そういう顔を見せられる人がいるのは心強いかな。
大人の付き合いは素を押し隠すシーンが多いから疲れること多いですね。
年を重ねるごとに、気のおける友達がわずかにいれば良いかなと思うようになりましたよ。